Simple case 4soA15

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教育 ≠ 調 教、  訓練 、 じゃなく 、

てっていし て  聞く 行為 。  自 分 自身 に きく 行 為 。   或ハ  言い 訳 でも

なんでもいい 。       自 分を 守 るため 、   で も   ムロン あり 、

欲 に 欲 はっ て 、  き く ほど  貪 欲に ーー

ひたすら  自 分 の ため 、 に  そう す る 。

即ち    てっててき に   自 分を きく こと 。    それが 、   生 き 方 を 示し

生 き方 に つなが る 。

それ 自 体 が   生 き方 に さ え むろん 。なる

即 ち  それ は    宇宙 観 、  自 分の 。   自 分だけの 。

  

その 間   教育 の  果 たした こと は ?

即ち それ は 、  全ての  目次 の  拾 い 読み   に すぎ ない かも 。 

門がまえ だけ 見 て   くぐ らず   何も 見 て ないか も 。

とにかく     ひととお り、    この 世 に  存 在 する もの 、事 の  目 次 を みた 。

並 行 して   依 然 として    自 分は   自 分 を きき 続 けて 。

即ち それが    生き る 人  を  生む  と 思 う 。   

他でも ない 。  自 分 で もう 1度  自 ら 生まれ る。

だから、   いくら  高学 歴 でも 、  自 分 を きかない な ら、

その  宇 宙 / 生  は    生まれ ない  。

そっ ちの 方 が 大事 だ ろう 。     どんな 高度 な  教 育 より も 、  情 報 より も 、

ちいさ な    自 身  に  きき 耳 を  立 て 、 き き 続け る こと が   何 より も。

それに より 、  やっと  どうにか  こうにか   自 由 な  所 に  生 まれ 直 せる 、 と思 う。

即ち    宇宙  の 如 く   一つの  自由 に 生 まれ 落 ち、    そこで  全て が 自 由  、

に 生き る 。

その セカイ に 、   児童労働 など ーー  、  貧 困 なぞ ーー  。

そゆー セカイ 、 所 。

    

考え 進む 場 は 、  貴 重 な 場 。

むろん  セカイ の 目次 は   いくらで も  必 要 だ 。

がっ こ に いっ てる  子 に しても 、  と ことん  考 え る場 は

かけ がえ ない 。      常に  考 え を  共 有 する 必要は な い 。

自 分の 考え を   自 分で 進 め る  他 ない 。

”考え”  なん て   自 分 を きく こと   だ から。

  

どの  階 級  だろうと  どの 年 だ ろう と    とにかく

自 分 に きく  こと なし に 、

”自 由”  は  ない 、    のだ 。    即 ち   お 互い に   自由 は ない 。

1つの  ”自 由”  の  中 に   住 めない 。

個 々の 自由  なん てない 。

    

自 分 ”を”  きき 始 める こと 。

自 分 に きき   確固 と して  自 由 を  択(と)る   ことが 始 まる 。

  

本 気 で   サバイ バル をしている 人 こそ 、   自分 を き いてい ても   フシギは ない 。