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教育 ≠ 調 教、 訓練 、 じゃなく 、
てっていし て 聞く 行為 。 自 分 自身 に きく 行 為 。 或ハ 言い 訳 でも
なんでもいい 。 自 分を 守 るため 、 で も ムロン あり 、
欲 に 欲 はっ て 、 き く ほど 貪 欲に ーー
ひたすら 自 分 の ため 、 に そう す る 。
即ち てっててき に 自 分を きく こと 。 それが 、 生 き 方 を 示し
生 き方 に つなが る 。
それ 自 体 が 生 き方 に さ え むろん 。なる
即 ち それ は 宇宙 観 、 自 分の 。 自 分だけの 。
その 間 教育 の 果 たした こと は ?
即ち それ は 、 全ての 目次 の 拾 い 読み に すぎ ない かも 。
門がまえ だけ 見 て くぐ らず 何も 見 て ないか も 。
とにかく ひととお り、 この 世 に 存 在 する もの 、事 の 目 次 を みた 。
並 行 して 依 然 として 自 分は 自 分 を きき 続 けて 。
即ち それが 生き る 人 を 生む と 思 う 。
他でも ない 。 自 分 で もう 1度 自 ら 生まれ る。
だから、 いくら 高学 歴 でも 、 自 分 を きかない な ら、
その 宇 宙 / 生 は 生まれ ない 。
そっ ちの 方 が 大事 だ ろう 。 どんな 高度 な 教 育 より も 、 情 報 より も 、
ちいさ な 自 身 に きき 耳 を 立 て 、 き き 続け る こと が 何 より も。
それに より 、 やっと どうにか こうにか 自 由 な 所 に 生 まれ 直 せる 、 と思 う。
即ち 宇宙 の 如 く 一つの 自由 に 生 まれ 落 ち、 そこで 全て が 自 由 、
に 生き る 。
その セカイ に 、 児童労働 など ーー 、 貧 困 なぞ ーー 。
そゆー セカイ 、 所 。
考え 進む 場 は 、 貴 重 な 場 。
むろん セカイ の 目次 は いくらで も 必 要 だ 。
がっ こ に いっ てる 子 に しても 、 と ことん 考 え る場 は
かけ がえ ない 。 常に 考 え を 共 有 する 必要は な い 。
自 分の 考え を 自 分で 進 め る 他 ない 。
”考え” なん て 自 分 を きく こと だ から。
どの 階 級 だろうと どの 年 だ ろう と とにかく
自 分 に きく こと なし に 、
”自 由” は ない 、 のだ 。 即 ち お 互い に 自由 は ない 。
1つの ”自 由” の 中 に 住 めない 。
個 々の 自由 なん てない 。
自 分 ”を” きき 始 める こと 。
自 分 に きき 確固 と して 自 由 を 択(と)る ことが 始 まる 。
本 気 で サバイ バル をしている 人 こそ 、 自分 を き いてい ても フシギは ない 。