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病状 六 尺
床 じゃないのが いいんだろう。
自分自身とは
完結 してるもの という
カイシャク
他と 交わさない
私は
他聞(たぶん) 完結 してるから
心が 鎮(おさ)まる
私 の 他人との つき合い方は、
私を 動かす 権利 を 譲らない。
ということ
フニャフニャして ても 私 は 石の
ように 動かない。
そして いつも 実は
ニラミをきかせて
かかっている。
外見 フニャフニャで。
だから、 気付かれない こと に
なっている。
にらまれた方 は 気づいても
みんな 平静 でいる ようだ。
実は 誰より も
図太く 構えたまま。
狡猾 な まま。
”私 を 動かすな”
というだけ が、
かといって、 ”どの ひとりも 動かし
たくもない”
という だけで 多分 私は、
植物 くらいに、
ネコ の のうミソ くらいに
わがままたろう。
〝私に 触(さわ)るな〟 という
赤ちゃん の ようなものだ。
育てられる 赤ちゃん じゃなくて
宇宙 に 住む 赤ちゃん だろう。
社会では
否定 と 統率 が 主流 の
つき合い だろう。
対人 も 教育 も。
肯定 のようで 規制 の
おしつけ合い ⇨ 統率
即
だから。
あるいは、 否定 の セルフ
サ―ビス。
私と うちゅう、
私 の うちゅう は
肯定 と
地の 底 までもの
同じもの ということ か。
肯定 とは =(イコ―ル)
分かる、 もっている
と いうこと。
ひとり ひとり は
とても 不安 なんだろう。
人間だけ 個人 こじん で。
不自然 で あせる。
そして 短気に、 ひとつに なろうと
する。
だけど 方法 が ちがう。
大人は 多分 不自然 に
気短に 熟れたふりの
そしておちるしかないカキ。
不安 が 当たり前 なのに
ニョキニョキ アンテナ だけ のばしていって
カンデンして フコウ と 思っている。
そういう 不安 は
あたり前 で、
そこで その 病状六尺
そのそれそれの 世界 と うちゅう
となり ますます おのれ を
肯定 してゆき、
わかまま いっぱい
しあわせ いっぱい
と いうことたろう。
ヒテイは
フコウ オロカ アマエ たる。
本心 で 出た 肯定。= 自分。