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その 常 しき を 私は テスト を うけにいく。
どうせ 、 お そらく 私の 常 しき は、 ヨ― シャ な く ツ―ヨ ― しない 。
で も 、 こ ―ゆ ― 人 も いていい こと は 、 理解 すべ き だ 。 ど―ゆ ― 人 も 。
只、 仕 事 に つくには 、多少、問だい で も 。
私は 図 々 しい か ら、 ゼッタ イ に しな な い 。
柳田 邦 男 の いう 通り、 私 は、 私を 只 肯 定 す るし し たいし で きる
から だ ろう。 そう いわれれば 。 そ うだ 。
否 定 も な にも 、 それ を 下 す のが 私 であ る から 、 こそ 、
否定 の しよう も な い 。 それは 只 、単 に ム ジュン で あり、
原因 は 言 ば の アヤ に ある 。 思 い かく 私 は 、 判 断 され る 、 描/書 かれる 私
の むしろ ごく 一 部 もしか すると、 カス 、 ヘタ 、 カワ、 カラ、 ゴミ 、…
で あ って、 メイン/ 動くの は、 なにしろ そこ 、ここ にいる 私 。
それ の 判 断 に 伴っ て、 書 い てる だけ で 、 思いや 回路 だって、 見抜き 様 も ない 。
そ して 、 それ を みたい、 如 実に 手 にとり たい、 発 見 したい 、
一 環 として、 水面 を 叩 か ないよう に すかして、 くみと って みつ める 。
かいてるのは むしろ、 手 の 様な 、( 正に ) 一部 分 で
動き の 私 が 許 して いる 。
わけの わ か ら ない 只 の 私 を 、 根 本 的に、 全面 肯 定 に 知りたい 、
手( 一部 )としての 私 は 、 常 しき から さえも よけ て おいて 、
すきに させと いた ら どう な る だろうか、 と きょうみ を 持 つし、
なに より、 常 に 動 き そのもの で ある だろう 。
”今” という りゆう で なく 、 欲 する もの という りゆう から 。
それを 欲した 、 という 足 あと 、 そして その 向き に 他 ならない 。